大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和60年(行ケ)122号 判決

原告

石塚博

被告

ゼネラル・エレクトリツク・コンパニー

主文

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第1当事者双方の求めた裁判

原告は「特許庁が昭和57年審判第4696号事件について昭和60年7月5日にした審決を取消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、被告は主文同旨の判決を求めた。

第2請求の原因

1  特許庁における手続の経緯

被告は、名称を「ダイアモンドの製造法」とする登録第320251号発明(昭和34年9月9日出願、昭和37年7月16日公告、昭和52年8月26日登録、昭和56年4月15日訂正審決により訂正、以下「本件発明」という。)の特許権者であるところ、原告はは昭和57年3月17日被告を被請求人として本件発明に係る右特許(以下「本件特許」という。)を無効とすることについての審判を請求した。特許庁は右請求を昭和57年審判第4696号事件として審理し、昭和60年7月5日「本件審判の請求は成り立たない。」との審決をし、その謄本は同月24日原告に送達された。

2  本件発明の要旨

炭素質物質を、鉄、コバルト、ニツケル、ロジウム、ルセニウム、パラジウム、クロム、及びマンガンより成る1群中の金属より選択されたいずれか1つの触媒の存在下に、かつ、ダイアモンド形成帯域中で少くとも約75000気圧の圧力、及び約1200乃至2000度Cの温度に曝し、生成されるダイアモンドを回収することを特徴とするダイアモンド合成法。

3  審決の理由の要点

1 本件発明の要旨は前項記載のとおりである。

2 請求人は、「本件特許の明細書には、「ダイアモンド形成帯域」について、それがいかなる温度、圧力の組合せの範囲を指すかに関して何らの記載もないから、本件特許は、その明細書に「其ノ実施ニ必要ナル事項ヲ記載セズ」、その結果「其ノ実施ヲ不能又ハ困難ナラシメタ」ものであつて、特許法施行法25条1項の規定により無効理由としてなお効力を有する旧特許法(大正10年法律第96号)57条1項3号に該当するから、特許法123条1項により無効とすべきものである。」と主張した。

被請求人は、「本件特許明細書記載の数々の実施例を追試することにより、本件発明を容易に実施することができるのであり、実際に本件特許権者以外の者によつてもダイアモンドの合成がされており、仮にダイアモンド形成帯域の境界が明らかでないとしても、そのことは実施を不能ならしめるものではない、また、請求人又は同人が代表取締役或いは取締役をしている法人は、本件特許に対する過去の手続においてこの要件を解釈し、この要件が当業者に容易に理解されることを認めてきたことから、本件審判において実施不能と主張することは禁反言的考慮からなし得ないものである。」と主張した。

3 本件特許明細書には「単に非ダイアモンド炭素が状態図のダイアモンド安定域内にあるような状態に非ダイアモンド炭素を曝しても、これをダイアモンドに変換するには充分でないことが判明した。更に、炭素状態図のダイアモンド安定域のある部分においてかつある種の選択された触媒の存在のもとにおいて炭素質物質のダイアモンドへの変換は容易にかつ反覆的に達成できることが判明した。」(昭和56年4月15日に確定した昭和54年審判第14723号により訂正された特許審判請求公告465号による本件発明の明細書(以下「訂正明細書」という)2頁左欄24行ないし32行)と記載されているから、「ダイアモンド形成帯域」が「ダイアモンド安定域のある部分」であることが明らかであるが、明細書のその他の記載を調査してもその具体的範囲がどのようなものであるかを直接に示す説明はない。

4  (イ)しかして、ダイアモンド形成帯域は炭素状態図の1領域を占めるが、炭素状態図自体が温度と圧力の因子によつて表わされるものであるため、このダイアモンド形成帯域も必然的に温度と圧力の因子によつて表わされるものであるところ、本件発明では反応条件として他にも「少なくとも約75000気圧の圧力及び約1200乃至約2000度cの温度」が設定されており、(ロ)訂正明細書1頁右欄下から9行ないし2頁左欄5行の記載によると、本件発明は触媒とともに反応条件として設定された上述の温度と圧力の条件を満すことによりダイアモンドに変換できるとあり、もしそうであれば、ダイアモンド形成帯域の範囲が具体的に示されていなくても、本件発明の実施に支障がないといえる。

5  (イ)また、そうでないとしても、ダイアモンド形成帯域はダイアモンド安定域に含まれるものであり、このダイアモンド安定域の範囲は本件特許出願前にすでによく知られており、それに加えて、本件特許の訂正明細書には多数の実施例が示され、それらにはダイアモンド変換を行う温度と圧力とが具体的数値で示されていて、それらではいずれもダイアモンドの変換が行われるのであるから、(ロ)ダイアモンド形成帯域の範囲はそれらによつておおむねわかるものである。

6  (イ)もつとも、それによつては、その境界がはつきりしないという点はあるが、一般に条件を数値によりその範囲を限定した発明であつても、発明の性質上、その範囲内の境界付近では、特許請求の範囲に規定されていない他の条件の選び方によつては必ずしも実施できない場合があり得るもので、通常の場合に実施できればよく、その境界付近の実施について厳格にその実施可能性を論ずることがその実際に適合しないことを考慮すれば、(ロ)多数の実施例によつて裏付けられて発明の実施に問題がない中核部分をあえてはずし、発明の実施に問題があるかもしれない境界の部分によつて、発明全体の実施を論ずることは妥当性がない。

7  しかも、請求人は本件発明の実施が不能又は困難であるとする具体的根拠をなんら述べていない。

8  とすると、本件特許の訂正明細書にダイアモンド形成帯域についてそれがどのような温度、圧力の組合せの範囲かを示す記載がなく、そのため本件発明の実施を不能又は困難にしたものであるとは容易にいい得ないものである。

9  したがつて、本件特許は特許法施行法25条1項によりなおその効力を有する旧特許法57条1項3号に該当するということはできない。

4 審決を取消すべき事由

審決の理由の要点のうち4(ロ)、5(ロ)、6(ロ)、8を争い、その他は認める。本件発明の訂正明細書に記載された「ダイアモンド形成帯域」の意義が不明であるから、本件発明は明細書に発明の実施に必要な事項を記載しなかつたためこれを実施するのが困難又は不能であり、旧特許法57条3号により無効であるにもかかわらず、審決はその判断を誤りこれを有効なものとしたのであるから、取消を免れない。

1 ダイアモンド安定域について

炭素の形態としてダイアモンドとグラフアイトの2つがあり、このうちいずれが安定な形態で存在するかは温度及び圧力により設定される熱力学的要件により定まるが、ダイアモンドの形態で安定して存在する領域をダイアモンド安定域といい、グラフアイトの形態で安定して存在する領域をグラフアイト安定域という。1920年には常圧においてはグラフアイトの形態が安定であり、一定の圧力以上ではダイアモンドの形態が安定であること及びダイアモンドが安定となる圧力は温度が高いほど高くなることが熱力学的計算により知られていた。更に1955年に至り現在バーマン・シモンの平衡線として知られているダイアモンド・グラフアイト平衡線が発表された。両名は熱力学的法則に基づく実験値から導かれた温度と圧力の関係式による数値を、温度を横軸に圧力を縦軸にとつた図にプロツトしこれを結んだ線をダイアモンド―グラフアイト平衡線(別紙図面)と称し、これによつて画される上方の領域をダイアモンド安定域、下方の領域をグラフアイト(非ダイアモンド)安定域であると考えた。この説は炭素状態図を示すものとして一般に承認されているところである。

本件発明の訂正明細書にもダイアモンド安定域に関して、「ダイアモンド合成分野の理論及び実験にたずさわる人々はダイアモンドと非ダイアモンドとの間に熱力学的圧力―温度平衡線が存在するものと長い間考えていた。最も近代のダイアモンド―グラフアイト平衡線の1つはパーマン及びシモン〔Zeit f Eleotrochemie 59 336 (1955)〕によつて提案されたものである。これらの人々は、炭素を状態図のダイアモンド安定域のある圧力温度において圧縮することにより、非ダイアモンドがダイアモンドに変換すると考えていた。」(訂正明細書2頁左欄8行ないし18行)と記載されている。

2 本件発明は、炭素質物質を1群の金属から選択された何れか1つの触媒の存在下に(イ)ダイアモンド形成帯域中で、(ロ)少くとも約75000気圧の圧力(ハ)約1200~2000℃の温度に曝して、ダイアモンドを生成せしめ、これを回収することを要旨とする発明であつて、炭素質物質と触媒とを右記(イ)、(ロ)、(ハ)の3要件の充足された状態の下に曝すことを必須の要件とすることは、その特許請求の範囲の記載から明白である。

ところで、右記(イ)、(ロ)、(ハ)の3要件中、(ロ)に記載した圧力条件及び(ハ)に記載した温度条件を組合せただけでは明らかにダイアモンドの合成の不可能な温度、圧力の組合せを含むこととなる。そこで、その範囲の中から、ダイアモンドの合成可能な範囲を限定の上特定しなければならない。本件特許の特許請求の範囲は、この限定・特定条件を上記のとおり、『ダイアモンド形成帯域』として温度、圧力条件の他に独立の条件として定めているのである。かように、右記(イ)に指摘した「ダイアモンド形成帯域中で」との条件は、単に本件特許の特許請求の範囲に記載されているという意味で本件特許発明における必須の要件となるというに留まらず、その要件を加えなければ、本件特許発明によるダイアモンド合成法は成りたたないという意味で、実質的にも発明の構成に欠くべからざる要件なのである。

3 審決は「ダイアモンド形成帯域の範囲が具体的に明示されていなくても本件特許発明の実施には支障がないといえる。」と判断している(審決の理由の要点4(ロ))。しかし、ダイアモンド形成帯域なる語は本件明細書が創作した新語である。ところが、本件明細書はその内容を全く開示していない。即ち、後記被告の主張3に引用されている訂正明細書の記載によれば、本件発明は、(イ)非ダイアモンド炭素を「ダイアモンド安定域」内の『ある部分』に属する温度、圧力の組合せ条件に曝すこと及び(ロ)ある種の選択された触媒の存在のもとに加熱することの2つの要件を必要とすることを意味している。そして、更に訂正明細書は「しかし、何れにせよ、一般に反応条件は炭素状態図にて示されたダイアモンド形成帯域内にあることが必要である。」と記載している(訂正明細書2頁左欄33行ないし35行)。これらの記載によれば、ダイアモンド形成帯域はダイアモンド安定域内の「ある部分」であるということができるから、別紙図面のダイアモンド―グラフアイト平衡線を描いた炭素状態図のダイアモンド安定域中にダイアモンド形成帯域を記入し図示することが可能なはずである。しかるに、訂正明細書にかかる図は示されていないだけでなく、審決も、訂正明細書にダイアモンド形成帯域の具体的範囲を直接的に示す記載がないと適示しているのである。

このように、訂正明細書の記載上ダイアモンド形成帯域の範囲は不明というほかないから、本件発明はその実施が不能又は困難なものといわざるを得ない。

4 審決は、訂正明細書には多数の実施例が示されているから、「ダイアモンド形成帯域の範囲は、それらによつておおむねわかるものである。」と判断している(審決の理由の要点5(ロ))。しかし、特許請求の範囲に記載されている構成要件の意味内容は、発明の詳細な説明の項に客観的一義的に明白に理解し得るように記載されるべきものであつて、「おおむねわかれば足りる」ものでない。実施例は、それぞれ、単に特定の温度と圧力との値を示しているに過ぎないから、訂正明細書の実施例を如何に組み合せてみたところで、「ダイアモンド形成帯域」という温度と圧力の組み合せの『範囲』が導き出し得ないことは明白であり、ダイアモンド形成帯域の意味は不明なものというほかない。

5 審決は、原告の主張について「発明の実施に問題があるかもしれない境界の部分によつて発明全体の実施を論ずることは妥当性がない。」と判断している(審決の理由の要点6(ロ))。しかし、本件発明は、ダイアモンド安定域において、単に炭素質物質を特定の触媒の存在下に、約75,000気圧以上の圧力と約1200~2000℃の温度とに曝して、ダイアモンドを生成せしめるということを構成要件とする発明ではなくて、右温度圧力の組み合せ範囲の内、さらに、同安定域の「ある部分」である「ダイアモンド形成帯域」に属する温度圧力の組み合せ条件の下に曝すということを構成要件とする発明である。原告は、構成要件の一たるその「ダイアモンド形成帯域」の意味内容が不明であると主張しているのであつて、審決のいう如く、或る温度圧力の範囲の境界附近の実施について云々しているのではない。「ダイアモンド形成帯域」については境界自体が不明なのであるから、「境界附近」であるか否かすら判らないのである。

6 被告の主張は自ら認めるとおり、ダイアモンド形成帯域をダイアモンド安定域と同一視するもので、両者を明確に区別している訂正明細書の記載と矛盾するものである。

第3請求の原因に対する認否及び被告の主張

1  請求の原因1ないし3の事実は認める。同4のうち1の事実は認め、その余は争う。

2  被告の主張

1 本件発明は、(1)原料(炭素質物質)、(2)触媒(鉄外7種の金属から選択された1つ)、(3)反応条件を必須の構成とするダイアモンド合成法に関する。

2 右の構成要件のうち反応条件は次のとおりである。

(イ)  前記触媒の存在下において炭素質物質を次の条件下に曝す。

(ロ)  ダイアモンド形成帯域中

(ハ)  圧力、少なくとも約75000気圧以上(特許請求の範囲の「少なくとも約75000気圧」との記載は「約75000気圧以上」の意である。)

(ニ)  温度約1200度Cないし約2000度C

3  右反応条件のうち、(ロ)が必要であるであることは本件発明完成以前から知られていたが、本件発明により、(ロ)の条件のみでは不十分であり、(ロ)のほか(イ)、(ハ)及び(ニ)の条件が必要であることが明らかにされた。この点に関し、訂正明細書は、「しかし以前の理論に反し、単に非ダイアモンド炭素が状態図のダイアモンド安定域内にあるような状態に非ダイアモンド炭素を曝しても、これをダイアモンドに変換するには充分でないことが判明した。更に、炭素状態図のダイアモンド安定域のある部分においてかつある種の選択された触媒の存在のもとにおいて炭素質物質のダイアモンドへの変換は容易にかつ反覆的に達成できることが判明した。」と記載している(訂正明細書2頁左欄24行ないし32行)。

この記載の意味するところは次のとおりである。即ち、工業的に多数の用途を有するダイアモンドの人工合成に成功したのは、本件発明が最初であつた。もつとも、本件発明以前でも炭素状態図は知られていたが、非ダイアモンド炭素をダイアモンド安定域中の圧力温度に曝しただけではダイアモンドを人工的に合成することはできなかつた。しかし、このことは、ダイアモンド合成が炭素をダイアモンド安定域中の圧力温度に曝すことと無関係であることを意味するものではなく、ダイアモンド合成のためには、炭素をダイアモンド安定域中の圧力温度に曝す必要があるが、それだけでは不十分であるということを意味する。そこで、「ダイアモンド形成帯域中」でという要件を加えることによつて、グラフアイト安定域中の温度圧力条件下ではダイアモンドの合成はできず、必ずダイアモンド安定域中で合成されなければならないという超高圧専門家の理解を右記載により、確認したものである。したがつて、ダイアモンド形成帯域とはダイアモンド安定域と実質上同じ意義と解すべきである。

4  本件発明によりダイアモンドの人工合成が可能であることが開示されて以来、本件発明は世界中の当業者により実施されて現在に至つており、未だ原告主張のようにダイアモンド形成帯域の意味が不明であるとしてその実施が不可能であると論じた者はいない。それどころか原告でさえそのような主張を過去においてしたことはなかつた。炭素状態図が示すダイアモンド安定域とグラフアイト安定域との境界領域は現在でも学者間で完全な合意があるとはいえないが、一般的傾向を示すものとしては広く知られており、当業者は訂正明細書に記載された数々の実施例を追試することにより本件発明を実施することは可能であり、現に前記のとおりこれが実施されたのである。

原告の主張は要するにダイアモンド形成帯域の境界が明らかでないというにすぎない。しかし、本件発明のカバーするダイアモンド形成帯域の厳密な領域が学問的に正確に確立されていないとしても、これは本件発明を反復実施できる程度に明確に発明の詳細な説明が記載されていないということにはならず、いわんや実施不能とは何の関係もない。当該特許が公知例により無効となることを防ぐためには、場合により公知例との境界を区別する意味で特許権の範囲を明細な線で区画する必要を生ずることもあろう。しかし、このことと特許の実施自体の容易性とは何ら関係がない。特許の実施は、明らかに特許の範囲内にある条件又は実施例に従つて、容易になしうるのである。本件発明のように全くのパイオニア発明にとつて、特許の範囲を公知例との関係で明確な境界線を示す必要は必ずしもなかつたのである。そしてダイアモンド形成帯域の要件は、温度と圧力を独立に選択することができ、領域外でも合成可能という誤解を防ぐため必要な要件であり、この要件によりさらに当業者は、当時一般に研究者間で認識されていた知見に基づき、おおよその見当と、温度を上げると圧力も高くなる必要があるという、温度―圧力条件の相関関係を知ることができる。この程度の開示でも大きな助けであり、他の要件に併せて理解すれば本件発明の実施には、何の問題もないのである。

第4証拠関係

本件記録中の書証目録の記載を引用する。

理由

1  請求の原因1ないし3は当事者間に争いがない。

2  原告は本件発明中特許請求の範囲に記載された「ダイアモンド形成帯域」の意味が不明である旨主張するので、以下に検討する。

1 成立に争いのない甲第4号証(訂正明細書)によれば、訂正明細書には、①「過去に於ける、より廉価な形の炭素からダイアモンドを製造しようとする試みは、一般に同素変態を生ぜしめるべく等方質炭素又はグラフアイトに熱及び圧力をかけようとするものであつた。又変態剤として各種の金属及び塩を使用して触媒的変態により他の形の炭素をダイアモンドに変換しようとする事も試みられている。然し乍らこの分野に於ける成功に大きな期待がかけられているにも拘わらず、又研究者の強い希望に反して今日に到るまで之等の試みは不成功に終つている。」(1頁左欄15行ないし1頁右欄8行)②「本発明者等は、はからずも、石炭、コークス、木炭又はグラフアイトのようなありふれた形の炭素を、特殊な触媒の存在下に特定の範囲の温度及び圧力にて処理することにより容易かつ迅速にダイアモンドに変換し得る事を見出した。より詳細に述べると、非ダイアモンド炭素を約1200乃至約2000℃好ましくは約1400乃至1800℃の温度のもとに少なくとも約75000気圧以上、好ましくは約80000乃至110000気圧、特に約95000気圧以上の圧力に曝すとダイアモンドに変換出来る。この高圧高温反応は、鉄、コバルト、ニツケル、ロジウム、ルセニウム、パラジウム、クロム、マンガンより選択されたいずれか1つの触媒の存在下に実施される。非ダイアモンド炭素よりダイアモンドの形成は、使用された触媒、温度及び圧力の如何により数秒乃至数時間の範囲で達成される。」(1頁右欄9行ないし2頁左欄8行)③「ダイアモンド合成分野の理論及び実験にたずさわる人々はダイアモンドと非ダイアモンドとの間に熱力学的圧力―温度平衡線が存在するものと長い間考えていた。最も近代のダイアモンド―グラフアイト平衡線の1つはバーマン及びシモン(Zeit f Electrochemie 59 336 (1955))によつて提案されたものである。これらの人々は炭素を、炭素の状態図のダイアモンド安定域のある圧力温度において圧縮することにより、非ダイアモンドがダイアモンドに変換すると考えていた。併しながら、かかる分野の人人でこの変換に成功した者は皆無であつた。現在では、炭素の圧力―温度状態図にダイアモンド安定域と非ダイアモンド安定域とが両方共に存在することが判明しているのである。」(2頁左欄8行ないし23行)④「しかし以前の理論に反し、単に非ダイアモンド炭素が状態図のダイアモンド安定域内にあるような状態に非ダイアモンド炭素を曝しても、これをダイアモンドに変換するには充分でないことが判明した。」(2頁左欄24行ないし28行)⑤「更に、炭素状態図のダイアモンド安定域のある部分においてかつある種の選択された触媒の存在のもとにおいて炭素質物質のダイアモンドへの変換は容易にかつ反覆的に達成できることが判明した。」(2頁左欄28行ないし32行)⑥「勿論、圧力と温度の相互調節が必要であることは理解されるであろう。しかし何れにせよ一般に反応条件は炭素状態図にて示されたダイアモンド形成帯域内にあることが必要である。」(2頁左欄32行ないし35行)と記載されていることが認められる。

2 右の①、②の記載によれば、過去において等方質炭素又はグラフアイトに熱及び圧力を加え、或は各種の金属などの変態剤を用いてダイアモンドを製造しようとする試みはいずれも不成功に終つたが、本件発明の発明者は、ありふれた形の炭素を鉄外7種の金属から選択された1つの特殊な触媒の存在下で、特定の範囲の温度及び圧力即ち約1200ないし約2000度Cの温度及び約75000気圧以上の圧力に曝すとダイアモンドに変換し得ることを見出したというものであつて、本件発明は、右②記載の知見に基づいたものであると認めることができる。また、③の記載は本件特許出願前におけるダイアモンドの人工合成分野の技術水準を踏まえて、①の記載を具体的に敷衍し、④の記載は③記載のように理論的には非ダイアモンド炭素をダイアモンド安定域内の温度、圧力に曝せばダイアモンドに変換するはずであるが、単にこの温度、圧力に曝しただけでは変換の条件として未だ十分でないという本件発明の発明者が知見した事実を開示しているものということができる。

これに続く⑤の記載は、右発明者が右の未だ十分でないとされていたダイアモンドへの変換の条件を究明の結果これを見出したことを記述したものであるということができる。ここで、更にこの記載を技術的に検討すると、当事者間に争いのないダイアモンド安定域の意義(請求の原因4、1)及び③記載のように、本件特許出願前において当業者がダイアモンド安定域のある圧力、温度において圧縮することにより非ダイアモンド炭素がダイアモンドに変換するとの理論的可能性を認識していた事実からみて、⑤の記載における炭素状態図の「ダイアモンド安定域のある部分」とは、ダイアモンド安定域において、②に記載された特定の範囲の温度及び圧力、具体的には温度約1200度ないし約2000度C、圧力約75000気圧以上の範囲を指すものであり、「ある種の選択された触媒」とは、②に具体的に記載された鉄外7種の金属から選択された1つの触媒を指すものであると解されるから、結局⑤の記載は、③及び④に記載された本件特許出願前における技術水準等との関連において、本件発明の発明者が見出した②に記載された知見を抽象的な表現で繰返し記述したものということができる。

そして、⑥は、②及び⑤の記載により炭素質物質をダイアモンドに変換させるに当つての温度と圧力の組合せに相互調節が必要であることを補足的に説明したうえ、「しかし、何れにせよ、一般に反応条件は炭素状態図にて示されたダイアモンド形成帯域内にあることが必要である。」と記載しているが、この部分は、ダイアモンドへの変換を行う際において、右のように相互調節し組合された反応条件である温度と圧力の炭素状態図中での位置づけについて改めて確認したものと解することができる。しかして、本件特許出願前において、当業者がダイアモンド安定域のある圧力、温度において圧縮することにより非ダイアモンド炭素がダイアモンドに変換するとの理論的可能性を認識しており、本件発明の発明者はかかる理論的前提のもとにダイアモンドへの変換を可能とする条件を見出したものであるから、⑥のうち前記記載による炭素状態図の位置づけについては、温度と圧力の組合せによる反応条件が「ダイアモンド安定域」にあるか「非ダイアモンド(グラフアイト)安定域」にあるかの観点からなされ、本件発明においてもダイアモンド合成のためには、所定の温度と圧力の組合せ範囲がダイアモンド安定域にある場合ににそれが可能であることを改めて確認したものと解することができる。

そうであれば前記の「炭素状態図にて示されたダイアモンド形成帯域」とは技術的には「炭素状態図にて示されたダイアモンド安定域」と同意義であると認めるのが相当である。

3  ところで、前掲甲第4号証によれば、訂正明細書には「ダイアモンド形成帯域」なる語は特許請求の範囲と右⑥の記載の2箇所にのみみられることが認められるところ、各記載形式からみて両者が別異の技術的意義を有するものとはいいがたいから、前記のように、後者が「ダイアモンド安定域」と同意義であると解すべき以上、前者もまた同様「ダイアモンド安定域」の意と解するのが相当である。そして、本件特許出願前ダイアモンド安定域の技術的意義が当業者間に明らかであつた以上(このことは請求の原因4、1により当業者間に争いのないところである)、本件発明における「ダイアモンド形成帯域」の意義が不明であるということはできない。

3  もつとも、成立に争いのない甲第3号証(アール・バーマン、フランシス・シモン「グラフアイト―ダイアモンド平衡について」1955年3月14日受付ツアイトシユリフト・フユール・エレクトロヘミー59巻5号)(乙第1号証もこれと同じ)によれば、バーマン及びシモンの提唱したダイアモンドとグラフアイトの両安定域の境界を示すとされる平衡線(別紙図面)を表わす方程式には5パーセント程度の誤差があり、現在の技術水準においても厳密に不動のものとしてダイアモンドとグラフアイトの両安定域の境界線を画し得ないことが認められる。しかし、前記争いのない請求の原因4、1の事実によれば、炭素の形態として温度及び圧力により設定される熱力学的要件によりダイアモンド安定域とグラフアイト安定域のあること自体は本件特許出願前において当業者間においてよく知られていたのであるから、ダイアモンド安定域の概念自体が不明であるということはできず、また、本件特許請求の範囲に記載された触媒を使用し、炭素質物質に対し同記載の圧力、温度を実施例を参考として加えた場合、右反応条件がダイアモンド安定域に設定される限りダイアモンドに変換されるのであり、前記バーマン―シモンの平衡線(前掲甲第3号証によれば、本件特許出願時の技術水準においてダイアモンド安定域とグラフアイト安定域の境界を示す最も権威あるものと認められる。)を手掛りとして右反応条件を設定すれば、その境界領域においても本件発明を実施することは可能であるということができる。

4  原告は訂正明細書の前記⑤の記載中の「ダイアモンド安定域のある部分」が「ダイアモンド形成帯域」であると主張するが、右の「ダイアモンド安定域のある部分」とはダイアモンド安定域中の温度約1200度ないし約2000度C、圧力約75000気圧以上の範囲を指すものと解すべきことは前記2 2に述べたとおりである。

また、原告は訂正明細書は「ダイアモンド安定域」と「ダイアモンド形成帯域」を明確に区別して記載しているから、両者は別異の概念である旨主張する。しかし、前記のとおり「ダイアモンド形成帯域」なる用語は訂正明細書中の特許請求の範囲と前記⑥の記載の2箇所にみられるのみで、しかも特許請求の範囲の解釈の手掛りとなるべき後者の記載は何らの技術的説明なく唐突にあらわれるのである。かかる場合、文字面のみを形式的に解釈すべきでなく、関連する明細書の記載を参酌し、その技術的意義を把握すべきことはいうまでもないところである。かかる観点に立つて前記2において検討し、右両者が同意義のものであるとの結論を得たのであり、これを別異のものとする原告の主張は採用しがたい。

5  審決は、原告の主張と同様、訂正明細書の前記⑤の記載中の「ダイアモンド安定域のある部分」が「ダイアモンド形成帯域」であると解し(審決の理由の要点3)、「ダイアモンド形成帯域」を「ダイアモンド安定域」とは別異の概念として把握しているのであるから、「ダイアモンド形成帯域」の技術的意義の把握を誤つたといわなければならない。しかし、以上述べたところによれば、本件発明が特許法施行法25条により効力を有する旧特許法57条3号所定の事由に該当しないとしたその結論は正当である。

6  よつて、原告の本訴請求を失当として棄却し、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法7条、民事訴訟法89条を適用して、主文のとおり判決する。

(瀧川叡一 松野嘉貞 清野寛甫)

〈以下省略〉

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例